市若の日記

生きている証しを見つけたい、主婦・市若のブログ

お洋服への渇望、小学校の「卒服」のトラウマ

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わたしの家は母子家庭でしたが、小学生の頃はそれでつらいと思ったことはそれほどありませんでした。折しも1980年代後半から90年代初頭の景気が良かった時代です。ひとり親でも特に不自由なく育っていました。


しかし思春期以降に思い知る、お父さんがいないことよりつらいのは貧乏だということ……バブル崩壊後の1993年、それを強く意識した出来事がありました。
小学校の卒業式、クラスメイトのみんながフォーマルウェアを着ている中、わたしや他の貧しいと思われる家庭の子は普段着の格好、いわゆる「卒服」を着ていなかったことです。

 

うちは貧乏だから「卒服」なし⁉︎

これには子供心に大変なショックを受けました。クラスメイトたちがきれいなスーツや紺のブレザーを着ているのに、わたしが着ているのは白いスウェットだったので…。

でもそのスウェットはおろしたての一張羅でしたし、ほかのフォーマル以外を着ている子の服だって、きっとその家庭で一番の子供服であったに違いないのです。


いつも一緒に過ごしていた仲良しグループの優しい女の子たちからさえも、うっすらと漏れる「ああ、あの子たちは貧乏なんだ…」という空気。

わたしは「きれいな服を着てなくてもわたしはきれいだ。誰にも負けてない、むしろ白い服で目立って上等!」と…無理矢理に心を支えました。

いま思えば、我が子が十人並みの容姿であるにもかかわらずいつも可愛いと褒めてくれ、決して外見のコンプレックスを植え付けるような育て方をしなかったお母さんに感謝です。


しかしながら、一年生からずっと同じクラスだった友だちと違う中学校に行くことよりも、当時恋していた男の子が別の誰かを好きであるらしいことよりも、「卒服」を着られなかったこと、自分が貧乏な家の子だと思い知ったことで小学生の卒業式は終始半泣きでした。

 

きれいなお洋服が着たい

昨今の小学校の卒業式の服装は華美になりすぎか…?とのニュースを聞くことがあります。21世紀のいまでも、貧しい家庭では親にも子にも悩みの種なのでしょう。


ともあれこのトラウマがわたしの華やかなお洋服への憧れや渇望を生み出したひとつの出来事であったといっても過言ではありません。

※写真は成人式で着たスーツです